秩父困民党
教科書にも載っているので知っていたが映画になったという話でわかった
埼玉県の吉田町には柱に刀傷が残っている
明治17年だが最後の百姓一揆だと思う
関西のここでも江戸末期に大一揆が起こった
藩の武士を打ち破った農民は最後に負けて首謀者が打ち首になった
ひそかに首を持ち帰って碑を建てたのが今でも残っているそうだ
なめら(地名)のじんべい(甚平?)他10名ほどは年寄り(サキが長くないから)で死を覚悟して責任者になった
責任者以外はおとがめなしが当時の慣例であった
庄屋の柱には今も刀傷が残りこの屋敷は観光客に開放されて今は誰でも見られる
この庄屋も名前からして豊臣秀吉に滅ぼされた地侍の子孫と思われる
明治になったので秩父では総理や副総理、会計長を決めて体制化されているが養蚕等からの借金に困り高利貸を襲った
秩父市、群馬、長野県で政府軍、警察に敗れたらしい
腹が減っても食べ物がなく妻子に食べさせようと謝金とりや政府(藩)を襲う
今でいえばサラ金に借りたが返せなくなってサラ金支店や銀行等を襲うのに似ている
いつの世にも腹が減って家もなくホームレスになる人がいるが当時、長男は家をついでも年貢(米)が払えない
まして次男、3男は乞食同然であった
天候異変が少しでもあって米がとれなかっても年貢は待ってもらえない(半分は藩にとられた)
食べるために隠し田、畑等をつくってようやく飢えをしのいでいた
温暖な気候で米産に向いている地方でもこんな状態なのに関東の山村の米がとれない秩父では生糸の暴落には耐えられなかっただろう
経済の拡大は江戸時代の鎖国政策ではできなかった
鎌倉時代には徳政令=借金棒引き、今で言う破産宣言をだした
江戸時代にはなかったのだろうか
日本人は借金をまじめに返すので世界的に有名である
明治になっても世界で売れる製品が少ない日本では食べるのは江戸時代と変わらなかった
会計長の井上伝蔵(名前は日曜版で知った)は逃げて大正になって北海道で死んだ
名前を変えて事件後に故郷にも立ち寄った話は知っていた
映画では地元民がエキストラで出演した
打ち壊された方(高利貸)だった子孫も展覧会に来たそうだ→恩讐のかなた
歴史は繰り返す、が定説だが今又不況の中で同じことが起こらないとも限らない
借金で夜逃げする人は昔も今もいる
借金をしない方法を考えることと借金をなしにする破産法を改善することだろう
昔、借金をかえさなかった友人(商売をしていた)は最近ローンを申し込んだがだめだった(ブラックリストから消えない)
平穏は続づかないし、暴力も続づかない
豊かな人だけでは世の中はなりたたない、は真理だろう
貧しくなる人にも向上の意欲はある
なければ一揆のエネルギーは出てこない
どうしたら豊かに暮らせるかを求めた戦後であった
ようやく実現したら予想もしなかったサラ金(高利貸)とホームレス(困民)の出現である
秩父事件は遠い昔の話ではない
知恵をはたらかして解決しないと打ち壊し、乱の出現となろう
一揆もある程度のルールがあって首謀者は死罪、藩の責任者も追放、(両成敗)だった
だから藩は幕府に失政がもれるのを恐れて忍(者)を避けたのだ→水戸黄門
事件が起こってからでは遅い
しかし当時の農民に政治が生活を決めているという意識はなかった
今は主権在民であるから生活からの意見が政治、政府に反映させるようにするべきだ
不況の解決に戦争に走った太平洋戦争の愚は避けねばならない→イラク派遣
貧困が戦争で解決しようとして最後になにもかもなくした経験は忘れられない
バブル崩壊、株価低迷は当時の生糸の相場が下落したのと似ている
低成長の時代になったと認識して社会をつくっていくしかないと思う
バブルの高度成長は終わったのだし今後もない
濡れ手に粟のようにもうかった時代はもうない