シーボルトハウス

 

Philipp von Siebold17921866)である

ドイツのWuerzburg生まれのドイツ人でオランダ東インド会社の医師となった

1822年鎖国日本の情報を集めるために派遣された

日本妻との子のオイネは和親条約以後に再び訪れた父に会ってドイツなまりがひどいと言っている

オイネは日本最初の女医でシーボルトの父も医者だったので3代医者が続いたことになる

あじさいに妻の名のオタクサとの学名をつけたのは有名である

あじさいと藤はシーボルトがヨーロッパに紹介して広まり、今ではあじさいは改良されて日本に逆輸入している

日本から追放されたのは伊能忠敬の地図を持ち出したことによる

その地図の正確さからイギリスなどは測量をやめたエピソードがある

しかし日本側に犠牲者がでた

帰国後オランダで結婚して子孫がいる

熱心に日本の動植物を収集したができないものは画家の川原慶賀に描かせている

彼の絵いりの本はFlora Japonica and Fauna Japonica日本の動植物 というべきであろう

日本家屋の模型から日常道具まで、博物館的に集めたので今日の日本にない物も多い

(明治時代の文物でも今日では珍しいのだ)

それらを集めてもとの居宅を展示場としたのだ

死後収集物はライデン市Leiden The Botanical Museum The Museum of Old Arts に散ってしまっていた

収集植物はベルギーのGhent市博物館、当時オランダ領、やThe Hortus Botanicus of Leidenの植物園などのヨーロッパ中に散っている

これらの収集物が東京に里帰りした時には、昔なつかしい物見たさに大勢の観衆が見学に来た

中には幕末に活躍した葛飾北斎の絵もあるのだ

江戸を追われた信州の家にはいつでも逃げ出せるように抜け道があった

(天井画の見事さから見学者が絶えないがーー)

当時イギリスなどヨーロッパはその植生の貧弱さから世界中の植物を収集することに熱心であった

ロンドンのガラス張りの植物園は温度調節ができて人々を驚かせた(今もある)

新大陸のジャガイモ、唐辛子やトマトはヨーロッパ人の食生活を一変させた

ドイツの町に一本のつばきの木が総ガラス張りの中に立っている

火事になっても枯れなかったのに人々はびっくりしたそうだ

日本ではどこにでもある藪やぶつばきの木である

日本やアジアは植物の豊かさに気がついてないがオランダ人がどのように日本を見ているか参考になる

日本人の女性がオランダ人の園芸家と結婚して盆栽を育てて売ったらもうかったと言う番組を見た

オランダは盆栽ブームだそうだ

シーボルトハウスは近代の日本の絵画や流行のファッションを展示するそうだ

シーボルトが過去の日本を紹介したように、シーボルトハウスは今の日本を知らせようとしている

300年以上オランダから学び、日本語になった蘭語らんご、オランダ語もたくさんある

しかしオランダの日本を知ろうとする姿勢は学ぶべき点である

実家は180年以上前?に建てられたのでシーボルトが日本に来た時(1822年〜)である

いつでも住めるようにはなっているが、今では誰も住んでいない

昔の物がたくさんのである民俗資料館のようである

骨董品こっとうひんはない

どろぼうが入ってめぼしい物は盗ったらしい

 

 

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